みずの ぶんぞう

水野 豊造

チューリップの栽培で人々の暮らしを豊かに

明治31年(1898)-昭和43年(1968)

功績

砺波の農家に生まれた豊造は、体が弱く、冬季間の出稼ぎに出ることができないため、収集を得る方法を探していました。ある日、カタログで「チューリップ」という花を見つけ、10球ほど購入。春になり、花を咲かせたチューリップを市場に出すと、大変な高値で売れました。球根は、さらに高い値が付くこともわかり、農業だけで暮らせる可能性が見えてきました。豊造は、村の人々にも球根を分け与え、栽培方法を指導していきます。昭和13年(1938)には、アメリカへ3万球のチューリップ球根を輸出するほどになりました。しかし、太平洋戦争が始まると、輸出は禁止。終戦までひっそりと105品種を守り続けました。
戦後、豊造は新しく富山県球根協会を作り、新品種の育成にも力を入れ、日本で初めて3つの品種の開発に成功しました。

「2026 となみチューリップフェア」
砺波チューリップ公園(砺波市フォトライブラリーより)
関連サイト
ゆかりの地 砺波市チューリップ公園
参考文献 チューリップの父(A4 4P) 富山県教育記念館
その他特記事項 水野豊造胸像