- ホーム
- 未来つくりびと
- 富山県西部の産業偉人
- 南嶋 間作
みなみじま まさく
南嶋 間作
文久3年(1863)- 明治32年(1899)
功績
間作は、慶応義塾大学を卒業後、新湊市で教師となっていましたが、父の死によりやむなく回船業を継ぎました。当時、新湊のほとんどの回船業者は、小さな和船を使っていたため、和船による国内交易に限界を感じた間作は、中国・上海へ渡り、大型汽船を使用した商売を学びます。ドイツ製汽船チャイナ号を購入して、「奈古浦丸」と名付け、中国との定期航路を開拓しました。また、国内の海運業を行う新湊汽船会社も設立しています。
新湊は、海運業で栄えてきた地であることから、商船学校の開校にも力を入れ、地元の有志とともに協力の要請に奔走します。島国日本の繁栄は、海運業にかかっていると力説する間作の思いは、人々の賛同を得るようになり、明治32年(1899年)、待望の商船学校が開校しました。現在は、富山高等専門学校商船学科に再編され、優秀な船員を養成し、世界に送り出しています。
| 関連サイト | 新湊船運さんぽ(pdf)(新湊歴史ヒストリアVol.9)(射水商工会議所 魅力発信プロジェクト) |
|---|---|
| ゆかりの地 | 間作の功績をたたえた石碑が、光明寺の隣地に建てられている。 |
| 参考文献 |
「ふるさとの商業を活発に」 A4 4P (中国への新航路を開いた事業家 南嶋 間作) (「富山県教育記念館」のサイトよりpdfダウンロード) |
| その他特記事項 | 光明寺の隣地に石碑がある。 |