あさの そういちろう

浅野 総一郎

「九転十起」の男。京浜工業地帯を生んだセメント王

嘉永元年(1848)-昭和5年(1930)

功績

医師の家に生まれましたが、商人になるという強い思いのもと、15歳からさまざまな商売を手がけました。しかし、すべて失敗となり、23歳の時に逃げるように東京へ。総一郎は、砂糖水を売ることから始め、食べ物を包む竹皮、薪や炭、石炭へと手を広げ、信用を得るようになります。そこには、大量に仕入れ、他の業者より安く売る総一郎の商法がありました。
燃料がガスに変わると、ガス会社が処理に困っている廃棄物のコークスやコールタールを販売し、成功します。さらに、官営のセメント工場を借りて「浅野セメント工場」を発足。明治17年(1884)には、総一郎に払い下げられ、31年(1898)に「浅野セメント合資会社」となりました。この時、安田善次郎も出資しています。
その後、海運業などにも手を広げ、鶴見海岸の埋立て事業に着手し、京浜工業地帯の基礎を築きました。大正8年には、庄川水力電気を設立。高峰譲吉の資金援助により、小牧ダムと発電所もつくり、“故郷へ贈る公益事業”を実現しています。

小牧ダム(県観光ナビより)
川崎市川崎区千鳥運河の夕景(Takuro1202 (CC BY-SA 3.0) 出典: Wikipedia)
関連サイト 一般社団法人 氷見市観光協会
東亜建設工業
ゆかりの地 小牧ダム(庄川水記念公園)、京浜工業地帯
参考文献 富山県ふるさと人物データベース(富山県立図書館ウェブサイト)
ふるさととやまの人物ものがたりP32 (富山県教育委員会 発行)