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おおや しろべえ
大矢 四郎兵衛
安政4年(1857)-昭和5年(1930)
功績
安政4年(1857)、砺波郡鷹栖村(現在の砺波市)の大地主の家に生まれた四郎兵衛は、金沢の塾で陽明学(儒学のひとつ)を学び、知行合一(本当の知は実践を伴わなければならないという考え)を教わりました。
また、人間に上下の区別はないと考えていた四郎兵衛は、米の価格が下がり、困惑していた農民のために、税を軽くするように政府に求める活動を行っています。 28歳で県議会議員に初当選し、砺波を発展させるために、銀行や米を運ぶ鉄道の建設が必要だと考えた四郎兵衛は、1894年、中越銀行の設立に参加し、高岡と城端を結ぶ「中越鉄道」の建設に力を注ぎます。
砺波をはじめ、高岡、射水の有力者に働きかけ、会社を設立し、社長に就任。庄川の洪水や計画の見直しなどの困難もありましたが、明治30年(1897)、県内ではじめての鉄道が開通しました。
関連サイト | ふるさととやまの人物ものがたりP40 (富山県教育委員会 発行)砺波正倉 |
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ゆかりの地 | 城端線・氷見線、チューリップ公園の中越弁慶号 |
参考文献 | 砺波正倉、WIKI、ふるさととやまの人物ものがたりP40 |