いなづか ごんじろう

稲塚 権次郎

奇跡の小麦への道を拓く

明治30年(1897)-昭和63年(1988)

功績

農家の子として生まれた権次郎は、県立福野農学校(現在の県立福野高校)へ進学し、ダーウィンの進化論と出会います。権次郎は、代用教員をしながら勉強し、東京帝国大学農科農学実科(現在の東京大学)に進学。卒業後は、農商務省農事試験場に就職。当時の課題であった冷害に強い品種をつくり、生産量を増やすことに取り組みます。秋田県の農事試験場に転勤した時は、稲の品種改良を担当し、冷害に強い品種を見つけ出しました。これは、東北の人々にとって、大きな喜びでした。この品種から、コシヒカリやササニシキが生まれています。
また、岩手県農事試験場に転勤した権次郎は、小麦の改良に取り組み、昭和4年(1929)に、「小麦農林1号」を開発。その後、アメリカ産などと掛け合わせて、「小麦農林10号」を開発します。アメリカのボーローグ博士は、小麦農林10号を、メキシコの小麦と掛け合わせ、従来の2〜3倍の小麦がとれる奇跡の品種を開発しました。この品種の誕生は、世界的な食料不足を解決する「緑の革命」と呼ばれています。

権次郎が首席で卒業した旧富山県立農学校本館(現在の富山県立福野高等学校巌浄閣)
富山県立南砺福野高校の「稲塚権次郎コーナー」
関連サイト 世界を変えたノーリン・テン(公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会)
人類を飢餓から救った日本の小麦(農研機構)
ゆかりの地 南砺市城端町、県立南砺福野高校
参考文献 世界で活躍した南砺の偉人 H25.3.6 南砺ユネスコ協会発行